21カ国を渡りインドへ。インド歴8年のあさみさんのシンプルな生き方

 

 

みなさん、こんにちは!Miraist編集部です。

さて、Miraist Womanも3本目の記事になりました。今回のゲストは都麻実(あさみ)さんです。現在は、Miyako Management Services Pvt. Ltdにて働いております。

長期滞在、旅行を含め、計21カ国に行ったことのあるあさみさん。そんな彼女は20代半ばからインドでの生活をスタートしています。インドに来るまでの選択やインドで生きていこうと決めた理由など、語っていただきました!

(この記事は2017年3月6日の記事のリライト版です)

 


幼少期から英語に触れていた

 

―インドに来て何年経ちましたか?

8年くらいですね。

 

―それは長いですね!昔から、インドが好きだったのですか?

特別インドが好きだったわけではないですね(笑)海外にきっかけを持ったのは、高校生の時に経験したハワイ留学でした。元々小学生くらいの時から、英語学校に通っていて。課外活動として放課後に通っていたのですが、外国人の中に混ざって、遊びを通じて英語を学んでいました。最初はかなり苦労しましたが、小さい頃なので吸収が早かったと思います。

 

―英語に対する苦手意識がないだけでも大きいですよね。小さい頃に英語に触れておくことは、大切な気がします。

そうですね。実際、私が英語が楽しいと思い始めたのは中学生くらいの時でした。そのため、高校は留学コースがある高校を選びました。海外に行ってみたいなと思っていたんです。当時は神戸に住んでいたのですが、高校は島根にあったため、寮生活をしていました。この高校はハワイの学校と提携して留学制度があったため、「これでハワイに行ける!」と、嬉しかったことを覚えています。

 

 


高校生のハワイ留学が人生を180度変える

 

実際に高校2年生のときに短期留学で1年間、ハワイでホームステイをしたあさみさん。生きた英語を学びながらの生活は、本当に刺激的だったと話します。

 

ハワイは無条件に素敵な環境でした。当時、1年間ホストファミリーの家に泊まって生活をしたのですが、皆優しくてすごく快適でした。それまでは日本にいて、日本の狭い世界しか知らなかったのですが、初めて食習慣も、服装も、住み方も、土地も空気も全然違う環境に身を置き、世界は凄く広いのだということを感じました。

 

―高校生の時にそういう体験が出来るのは貴重ですね。帰国後はどうされたのですか?

帰国後は普通に高校生活を送っていました。進路について、ワーホリで海外に出るか、専門学校に行って資格を取るかで悩みました。小さい頃から「フライトアテンダントになりたい」という夢も持っていたのですが、当時は若い人たちの就職難の時期で「将来のために資格は取っておいたほうがいいな」と思い、最終的にはトリマーの専門学校に通うことにしました。

 

―進路選択する際に、悩んだりすることはありましたか?

ないですね!「その時に一番いいと思ったことをやろう」と決めていました。間違ったと思ったらやめてすぐ修正すればいいだけなので。フライトアテンダントに挑戦することも、自分でタイミングを決めようと思って。このときは専門学校を選びました。

 

 


社会人を経て、ニュージーランド、そしてドイツの生活

 

―専門学校を卒業後はニュージーランドに行ったんですよね。

はい。自分で探した動物病院へ就職して、動物のケアをしたり、先生の診療補助をしたり、とにかく仕事は楽しかったのですが、2年半ほど経った時、仕事にも慣れて色々なことが出来るようになってきたので、ニュージーランドに行くことにしました。ニュージーランドを選んだのは、自然が多く、動物の看護の仕事ができると思ったからです。物価も割と安いですし、様々な人種の方が住んでいる環境はとてもいい刺激になりました。特に仲良くしていただいたのが、サモア人とトンガの方々で。とても温厚で優しい人が多く、食事やパーティーもよく参加していましたね。

 

―いいですね!その後はどこに住んでいたのですか?

ニュージーランドで知り合ったドイツ人2名に呼ばれ、ドイツに6ヶ月ほど滞在していました。彼らはとても家庭的でオープンな人たちでした。彼らの紹介でたくさんのドイツ、チェコ人の友達ができ、今でも連絡を取り合う仲です。ドイツ人は友達になるまでは完全に他人同士ですが、一度友達になると「一生の友達」として大事にしてくれる印象があります。また、動物に対しても優しく、パブやバスにも同行できるのは当たり前の環境で、新鮮でしたね。

 

本当にいろいろな国での生活を経験されているんですね!

 

 


「インドで働いてみませんか」という求人がきっかけ

 

20代前半までに、ハワイ、ニュージーランド、ドイツでの生活を経験し、24歳に日本へ帰国。昔からの夢であった「フライトアテンダント」に挑戦することを決意したとのこと。

 

帰国してから就職したのは神戸空港のグランドスタッフでした。当時の上司はオーストラリア人の上司で、石田純一みたいなノリの人。ホワイトデーのお返しにTバックを配るような人でした(笑)上司がフライトアテンダントの学校の講師をやっていたため、グランドスタッフとして働きながら、再度フライトアテンダントの試験も受けていました。皆さんが知っているところでいうと、エミレーツ航空の試験も受けたりしていましたね。最初にエントリーシートが有り、そこをパスすると身長を測るんです。その後日本語の筆記試験があり、次に英語面接があります。私は英語面接まで行きましたが、結局通りませんでした。2回ほど試験を受けて、もうフライトアテンダントはいいかなと思って、受けるのをやめましたね。

 

―そうだったんですね。その後インドに行くにあたって、どのようなきっかけがあったのでしょうか?

当時、神戸にはインド人コミュニティが多くあったのですが、そこの人たちも会社の上司同様、凄くいい人たちが多くいました。そして、そのコミュニティにいたインドの有名なお坊さんに「あなたが死ぬところはインドだよ」と言われたんです。最初は冗談かと思っていましたが(笑)それをきっかけにインドに興味が湧いてしまって、ネットで調べてみたんです。そうしたら「インドで働いてみませんか」という求人を見つけ、「インドで働いてみようかな」と思ったのが私にとってのきっかけです。

 

 


インドに転職した後、韓国での就業も経験し、再度インドへ

 

―インドではどのような生活をしていましたか?

実はこの8年間、途切れることなくインドで就業していたのではなく、ヨガ施設に滞在したり、他の国でも就業していました。インドに渡った2009年当時はまだまだインフラが整っていなくて、毎日節水していましたね。3日間水が出ないときがあったり。停電も度々なっていました。これは田舎の話ではなく、デリーの話です。それと比べて、今は全然停電しなくなりましたし、だいぶ住みやすくなったと思います。当時、インドでの仕事があまりうまくいかず、安定していませんでした。そこで2010年に韓国に渡航しました。

 

―そこで日本に戻るのではなく、韓国を選んだ理由は?

そうですね、韓国は昔から国として好きだったのと、日本に近い感覚の国で働けると思ったからです。実際に韓国語を学びながら、化粧品の会社で働いていました。日本と韓国とで大きく違うのが食文化です。韓国のほとんどの企業は昼食は会社側が支給します。もしくは、週1で皆でランチに行きます。出前にピザ、夜は焼肉、ファミレスがほぼ毎日でした。嘘ではありません!そんなことから韓国では一気に太ってしまいました(笑)韓国の仕事のやり方は日本のスタイルと似ていましたが、人間関係は日本ほど厳しくなく、みんな優しかったのでストレスがありませんでした。上司や周りの人達はとてもいい人たちでしたね。

 

―素敵な環境ですね!韓国にいる時からインドに戻ろうと考えていたのですか?

1度目の渡航でインドに滞在したのは短い期間でしたが、韓国にいる間もインドには度々来ていて。インドの街がめまぐるしく変化していく様子を見て、エネルギーを感じていました。なので、いつかはインドに戻って働きたいと思いながら韓国で過ごしていたんです。

 

 


インドで「ヨガ」に出会う。田舎にあるヨガ施設の暮らし

 

韓国からインドに戻ってきたあさみさん。そこで、あさみさんが今の生活でとても大切にしている「ヨガ」と出会うことになります。

 

2013年、韓国からインドに戻るタイミングで、たまたまインドのお金持ちの人と知り合うきっかけがあったんです。その方の家に滞在している時に、ヨガの先生と出会いました。

 

―あさみさんの人生には凄くおもしろい出会いや人の縁が溢れていますね!

それはインドだからだと思います!特にインドの田舎の人は、人との縁をとても大切にします。生き方がシンプルだからでしょうか。私はインドの人との関わりで一度も嫌な目にあったことはないんですよ。その人がどういう人間かは、しっかり目を見て話せば分かる気がします。先生にご縁をいただき、その後はしばらく、ヨガ・瞑想施設で過ごすことにしました。ヨガは呼吸、姿勢、瞑想を組み合わせ、心身の緊張をほぐしながら、心の安定と安らぎをつくる呼吸法です。心と身体というのは、実は密接に関係しているので、身体の病気には、心の健康が不可欠なのです。ヨガでは身体と心の調和、統一を促すことで、さまざまな体調不良や病気を治していく効果があります。

 

―ヨガの施設ではどのような生活を送っていたのですか?

私がいた施設は、ヨガを習ったり、ヨガを教えたりする施設なのですが、そこには小さい子供からガンの人まで、いろいろなインド人が訪ねてきました。特にインドは途上国なので、日本と比べると子供の病気・疾患が多い国です。彼らにヨガを伝えると同時に、自分も食事の栄養学の勉強をしたり、真の意味で健康になることを学んでいた時期でした。施設の近くには牛がいて、毎朝3時半には起きて、採れたての美味しいミルクを飲んでいました。すべて野菜はオーガニックで施設内で作られましたし、本当に健康的な暮らしだったと思います。

 

 
 ヨガのポーズを披露してくださいました!

 ヨガから学んだ人生で大切なこと

 

―ヨガと出会って変わったことはありますか。

私はヨガの先生と一緒に暮らしをともにして、ヨガの真髄に触れてきました。ヨガのある生活はとてもシンプルで、心にいい暮らしであると言えます。実際に私はヨガと出会ってから、病気もしなくなりましたし、落ち込みにくくなりました。何よりヨガの先生の存在が私には一番大切でしたね。今後も私は、このインドの地で暮らし、そして人生をインドで終えようかなと思っています。人生についての話は重いかもしれないですが、先生はいつも死ぬことを考えなさいと教えてくれました。だから私は、当たり前なことではありますが「人はいつかは死ぬものだ」と思って生きています。

 

―忙しい日本人でも、あさみさんにようにヨガに触れるために何かできることはありますか?

これはいろんな日本の方に聞かれるのですが、必ずと言っていいほど皆さん「時間がない」といいますよね。まずは、一日30分でもいいので内観の時間を自分で見つけてほしいです。もし日々、7時に起床するのであれば、6時に起きればいいですし、6時に起きる人は5時に起きればいいのです。朝ちょっと早く起きるだけでも、身体も心も健康になると思いますよ。そうやって、自ら時間をつくりだす工夫をしてみてほしいです。そして、そこで瞑想やヨガに触れる時間を作ってほしいです。ヨガはわざわざスクールに通うものでも、お金を払ってやるものでもないと思います。全ては自分の環境次第です。もし希望するのであれば、私が教えます(笑)

 

―教えてほしいです!私も「忙しい」という言葉を言わないように気をつけています。優先順位をおけるかどうか、それが大切かもしれませんね。

 

 


 海外就職を目指す日本の女性にメッセージ

 

―海外就職を目指す日本の女性たちに、何かメッセージをお願いします。

そうですね。私が日本の女性を見ていて思うことは、いろいろなことに「期限」や「ルール」をつけて悩んでいる人が多い気がします。例えば「30歳までに結婚しないといけない」とか「結婚相手の年収はこれ以上なくてはいけない」とか。人間は決めた方向に進むわけではないので、その瞬間に、どれだけ自分に正直に生きていけるかが大切だと思います。社会的に作られた欲ばかり持っていると、欲を満たすためにいつまでも消費し続ける生き方をしなくてはいけません。そうなると、いくら時間があってもお金があっても、足りない気がします。

少し話はズレてしまいますが、私は小さい時、外見のことでいじめられたことがありました。水泳の授業の時、好きだったショッキングピンクの水着を着たら、みんなにそれを指摘されました。同様に、私の癖っ毛のこともいじられた記憶があります。当時から「みんなと同じことをやらないといけない空気」に疑問を持っていました。海外に来たら「お前の髪型、癖っ毛だ!」なんていう人はいないですよ(笑)肌の色も髪型も服装も、言語も思想も全部違いますからね。

他人と自分は違うのだから「自分が行きたい道をシンプルに選択すること」がいちばん大切です。大げさな話になってしまうかもしれませんが、自分が死ぬ前に「自分の生き方が良かった」と思えることが大切だと考えています。誰かがあなたの人生を決める権利はありません。自分が本当に好きなことは、自分が一番わかっているはずですから、その気持に素直になって行動してみてください。

 

 


編集後記

 

あさみさんはいろいろな国での生活を経験されておりますが、どの国のエピソードにも「人」に関わるエピソードがあり、人との縁に恵まれている方なんだなと、話を聞いていて思いました。それはあさみさんの前向きな姿勢や、直ぐ行動に移す実行力が引き寄せている縁だと思います。

あさみさんからは「私は一般的なキャリアウーマンとは全然違うけど、大丈夫かしら?」とコメントをいただきましたが、今までとは違う切り口で、たくさん学ぶことがあったと思います。

あさみさん、インタビューご協力いただき、ありがとうございました!

 

 

 

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