自ら挑戦する環境をつくる!インドに転職した木村真帆さんの思いとは

 

 

みなさん、こんにちは!Miraist編集部です。

Miraist Womanは「インドで働く日本人の姿を日本の人に届けたい!」という思いから、2017年1月にスタートしました。(この記事は、2017年1月15日の記事のリライト版です)

記念すべき第1回目のMiraist Womanは、インド転職をした木村真帆さんです。

日本で充実した社会人生活を送っていた真帆さん。外資系企業で秘書を4年半務め、目標にしていた英語を使ってのお仕事もできていましたが、ある思いときっかけがあってインドに転職を決めました。今回は、幼少期からさかのぼってお話を聞きました。

 


オーストラリアで過ごした幼少期

 

生まれは東京池袋。お父さんが獣医をやっていた関係で、小学1年生から6年生までオーストラリアのクイーンズランド州テキサスという田舎町で過ごしていたとのこと。幼少期にオーストラリアの田舎町で、「日本人は私だけ」という環境の中で言語や文化の違いに幼いながらも苦労したようです。その経験から、周りに日本人がいない環境でも1から生活していけるようになったんだとか。

 

―子供のときの自分を一言でいうと、どのような子供でしたか?

一言で言うと、天真爛漫な子でした。ストレスを感じず、田舎町なので裸足で道を歩いたりしていました。父が獣医だったので、オーストラリアの牧場へ行って遊んだりしていましたね。

 

幼少期を過ごしたオーストラリアのクラス写真

前列左から4番目が真帆さん。日本人はひとりだけという環境でした。

 


大学では手話を習得。コミュニケーションの大切さに気付く

 

―中学時代に日本に帰国したんですよね。日本の文化を理解し合わせていくことに苦労しましたか?

日本の文化についていけないところは正直ありました。何もかもがカチッとした生活が自分には合わなくて。高校を卒業した後は日本の大学に行く予定はありませんでした。当時、父がまだオーストラリアにいたこともあり、私もそちらに戻るつもりでした。ただ、オーストラリアに戻るには語学力が少し足りないことに気づき、大学に入ってしっかり英語を勉強しようと考えました。そして、姉の影響もあって青山学院大学の英米文学科に入りました。

 

―大学ではどのような生活を送っていたのでしょうか?

大学時代は手話部に所属し、一生懸命打ち込んでいました。当時、英米文学科に所属していたこともあり、外国人とコミュニケーションを取る手段を学ぼうと思ったのですが、言語以外のコミュニケーション手段があることにも気づき、手話に興味を持つようになりました。元々オーストラリアで働くために英語を頑張ろうと思っていた大学時代ですが「海外に目を向けるのも大事だけど、国内に目を向けてコミュニケーションを学ぶことも大切だな」と感じたのです。

 

―言語や手話、いろいろな形がありますが、コミュニケーションを取ることは本当に大切ですよね。大学時代で印象的だったことはありますか?

大学時代は部活や好きな英語の勉強もできたので、すごく楽しかったですね。そして、いろいろな人との出会いがありました。一番印象に残っているのは、10歳位年上で、社会人の部活の先輩です。仕事もあり忙しい中、部活の部長も務めていました。手話がとても上手で、ろう者の気持ちもよく分かる方でした。そんな先輩が当時「海外の日本人学校で先生になる」と言ってマレーシアに渡航されたのです。私が海外で働こうと思っていたのはオーストラリアにいる父の影響でしたが、初めて父以外の海外で働く人に出会ったのです。しかも同じ女性でした自分のやりたいことを実践に移す先輩が、本当にかっこよく思えましたね。学生時代に自分のお手本となるような人と出会えるかは凄く重要だと思っていて。先輩はまさに私にとってのロールモデルだったんです。

 

インタビューを受ける真帆さん

 


英語を使ってのキャリア構築 

 

―社会人になってからはどのような生活をしていましたか?

もともと海外で働くために英語を勉強していたのですが、もう少しお金を貯めたかったので、そのまま日本で働きました。大学生時代からウェスティンホテル東京の日本食レストランで働いていたのですが、卒業の時期にホテル側から「そのまま就職試験を受けてみない?」と言われ、無事内定をいただき就職することになりました。ここは外国人のお客様が多く、英語を使う環境でした。ウェスティンはレストラン部、宿泊部に分かれているのですが、1年ほど現場を経験した後、ちょうどレストラン部のトップの秘書の席が空いて。彼はオーストラリア人だったのですが、ご縁をいただき、彼の秘書として働くことになりました。

 

―組織のトップの秘書。とても重要な役割ですね。働いてみてどうでしたか?

現場でもたくさんの海外のお客様と触れ、英語を使う機会は多かったのですが、外国人上司、しかも縁のあるオーストラリア人との仕事は学ぶことも多く、楽しかったですね。

 

―忙しいお仕事だったかと思いますが、ストレスはありませんでしたか?

そうですね。ホテルは24時間開いているため、働く時間は長かったです。外資系なので、いろんな時間帯で海外とのやり取りがありました。また、レストランのスタッフは複数いますが、秘書は私一人しかいなかったので、休めば仕事が溜まっていく状況。それは大変でしたが「自分にしかできない」というやりがいは強く感じました。

 

ウェスティンホテル時代の写真

ウェスティンホテル時代。充実した毎日だったと振り返る。

 


インド就職へのきっかけ

 

―充実した社会人生活を送っていたと思うのですが、インドに転職するきっかけは何だったのでしょうか?

秘書は約4年半続けました。最初は秘書の仕事が楽しくて、目標も立てて頑張っていたのですが、30歳になった時「私は海外でも仕事ができるんじゃないか」と自信があることに気づきました。海外就職が頭に浮かんだのは、やはり父と大学時代に出会った手話部の先輩の影響が大きいですね。どこの国で働こうかな?と考えた時に、ホテルの同僚にいたインド人が浮かんできました。異国にいながらもいつもポジティブに頑張る姿、そしてインド人の前向きさを近くで見ていて、本当に尊敬していました。それでインドの仕事を調べていたのです。

 

―なるほど。色々な人との出会いが繋がって、インドに決めたんですね。

そうですね。また、実は当時から付き合っている方がいて、その彼の出身がインドのお隣の国、バングラディシュでした。彼らからしたらインドとバングラデシュは全然違うとは思うのですが、近い国同士なので「彼が育った環境を見てみたい」という気持ちがありましたね。その後、実際にインドのエージェントを使い、いくつか現地の仕事を紹介してもらいました。何社か面接をしたのですが、私が勤めることになる積水化学では、能力テストがあり、面接も3回あったので、私のことをしっかり見てくださっているのだと感じ、最終的に選びました。

 

インタビューを受ける真帆さん

 


インドに転職し、バングラディシュ人の彼との遠距離恋愛がスタート

 

―真帆さんがインドに転職をしたら、日本に住むバングラディシュ人の彼とは遠距離恋愛になってしまいますよね。海外就職において、遠距離恋愛はひとつ大きなテーマだと思います。真帆さんは彼と距離的に離れてしまうことに、不安はなかったのでしょうか。

彼とは本当に仲がいいので当時から「大丈夫だ」と確信していました。先程も言いましたが、彼が育った環境も一度見てみたかったのです。また、彼は日本で働きながら自分のビジネスをしていたのですが、私も母国から離れた場所で一から働けたなら、なにがあっても彼を支えられると思ったからです。今の時代はLINEやFacebookなどいくらでも連絡をとる方法はあるので、「離れても大丈夫だ」と強く思っていました。

 

―実際に今、遠距離恋愛をしてみてどうですか?

彼は毎日連絡をとってくれる方だったので、あまり離れている感じはしませんでした。日本の飲み会の文化もよく理解してくれていて、夜が遅くなることもわかってくれていますが、なるべく彼と連絡を取るために8時以降は家にいるようにしています。会社からは年に1回の一時帰国の航空チケットが支給されます(*インドの場合、福利厚生で一時帰国の制度が含まれる場合が多い)。加えて出張、自分での帰国を含め、3〜4ヶ月に1回は帰国して会うことができます。それは仕事のモチベーションにもつながりますね。

 

 


インド就職に対する周囲からの反応

 

―インドで就職することに対する不安はありませんでしたか?

私自身は不安なことはありませんでしたね。彼からいろいろな話を聞いていたので。ただ、両親に説明したらさすがに「インド」が出てくると思っていなかったらしくどうしてインドなの?と聞かれました。また、ちょうどその時期、日本のメディアでインドのネガティブなニュースが流れていたので、最後まで母は心配していたようで。なかなかOKが出ませんでした。ただ、父が今選択できることを選択するべきだよと背中を押してくれたので、実際に就職することができました。

 

―そうだったんですね!ご家族と連絡はとっていましたか?

インドに着いてからは毎日母から電話が来ていました。日系企業なので条件がしっかりしていることや、しっかり安全にやっていることを伝え続けていたら、徐々に安心してくれるようになりました。家族が私のことを心配する気持ちも分かるので、家族にはきちんとインドでの生活を伝えるようにしています。インドに来てから家族LINEのグループを作って、インドの写真を毎日送っていました。母も半年から1年間位はやっぱり心配してくれていたみたいだったので。

 

車の中でスマホを使う女性

 


インドで働いてみて感じたこと

 

―実際にインドでの就業はどうでしたか?

インドでは営業にチャレンジしました。実際、会社で取り扱っている製品はインフラ関係の材料が多く、全然知らないものばかりでした。それを覚えていくのは大変でしたが、少しずつできるようになることには成長を感じましたね。

 

―自分の成長を実感できる環境はいいですね!

はい!最初は「私で大丈夫かな?」と不安になることもありましたが、知っていくうちにどんどん世界が広がるのを感じたんです。日本だったら出会うことのできなかった業界の方々とも出会うことができて、やってみてよかったなと。インドの市場自体は、新聞などでは凄く勢いを感じますが、ビジネスとしては少しずつ成長しているのかなというのが正直な印象です。インドも少しずつプライスからクオリティ重視にかわってきており、これからどんどん拡大していくのではないでしょうか。

 

―インドでの休日はどのように過ごしていますか?

休みの日は家でゆっくりしていることが多いですね。家で家事をしたり、デリー近郊で買い物をしたり。外はどうしてもホコリが多いので!(笑)

 

インド人に囲まれる真帆さん

 


悩んでいる女性にメッセージを!

 

―もし目の前に海外就職に悩む日本人女性がいたと仮定して、なにかメッセージをいただけないでしょうか。

私がインドに来ようと思ったのは「直感」です。「いまを逃したら一生できなくなるかも」と思いました。同じことを感じているのなら、まずはやってみるのがおすすめです。私は小さい頃から英語を話す環境にいた、ということもありますが、日本にずっといらっしゃる方は、海外に出ることを躊躇するかもしれません。知らない世界に行って、どういう生活をするのかわからず怖い、という気持ちもあるかもしれません。ですが、私もなにもわからない状態で新しい環境に身をおいても、なんとかなってきたので「海外に行ったことがないから」とか「英語が話せないから」ということが壁になって海外就職を諦めるのはもったいないかなと思います。

 

―新しい環境を恐れずにチャンスを掴んだのですね。インドで何か心がけていることはありますか?

私は人見知りな部分があり、なかなか人と関わることが苦手だったので、自ら「人と付き合う状況を作る」ということを意識していました。「引っ込み思案だから人と関われない」のではなく、それをやらないといけない状況に持っていく、そして挑戦する環境を自分でつくっていく。そうすることで、自然と自分を変えられると思います。何事もやってみることが大切です。

 

―”自らやらなきゃいけない状況”を作る。とても大切なことですよね。

そうですね。私はインドでたくさんの日本人と出会うことができました。本当に運が良かったなと思います。今の生活、インド人との関わりだけでも楽しいですが、同じ環境で頑張っている日本人を知るのもとても楽しいです。ぜひ皆さんも海外で活躍する人になってください。応援しております!

 

カラフルな絵画を背景に立つ真帆さん

 


編集後記

 

昔から天真爛漫に育ったという真帆さんは、進路選択においてシンプルに考え、自分のやりたい道に正直に進んでいるイメージがありました。深く考えすぎて選択肢を持ちすぎることより、自分が一番大切にしている思いに従って行動している印象を受けました。

 

当時インドに来たばかりの私は、「インドで働いていると、インド人と日々交渉をしてたくましくなっていく」という勝手なイメージがあったのですが、真帆さんはとても優しい話し方で接し方が丁寧。日本の旅館でおもてなしを受けているような心地よさを感じました。

 

真帆さん、本当にありがとうございました!

 


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