みなさん、こんにちは!Miraist編集部です。
今回のMiraist Womanでご紹介するインドで働く女性は、佐野遥香さんです。

遥香さんは、新卒2年目の24歳。「こんな若い子でもインドで働いているんだ…」と驚かれた方もいるのではないでしょうか。昨年の8月に渡航し、インドで働いています。

インタビューの依頼をした時「まだ悩むことも多く、私でいいのかなという不安もありますが、それでもよろしければぜひお願いします」と、とても謙虚な回答をいただきました。

そんな遥香さんから紡ぎ出される等身大の言葉も日本に届けたいと思い、インタビューに協力していただきました!

将来は「国際関係」か「環境」に関する仕事に就きたい

―遥香さんは、小さい頃から海外志向が強かったのですか?

それが全くありませんでした。小さい頃は、とてもおとなしい子で、引っ込み思案でした。幼稚園の頃に親の転勤があり、新しい環境に馴染むのにとても苦労したことを覚えています。小学生になっても、変わらずおとなしい子でした。とても真面目で、そして意外と負けず嫌いでしたね。

目立った特技はなかったのですが、ある日一生懸命勉強したテストの結果がよく、先生がみんなの前で褒めてくれることがありました。その時に「努力をすれば、何事も結果が出るんだ」と感じ、それからは人の倍頑張って、結果を出せる人になろうと思っていました。

―中学・高校の時はどのようなことに興味があったのですか?

国際関係の仕事に興味がありましたね。
きっかけはたまたまESS(英語部)を見学しに行った時でした。外国の先生と一緒に、英語でゲームしたり話をしたりする中で、先生の「日本人の黒髪がすごく羨ましい。なのに日本人はなぜ髪の毛を染めるのかわからない」という一言がとても印象に残って。私は黒髪がコンプレックスだったのですが、先生は私の黒髪を褒めてくれたのです。国が違えば価値観も異なるということを感じました。先生の視点はとても興味深く、その頃から国際関係の仕事に就きたいと漠然と考えていました。

―そこで海外への関心が芽生えたのですね。

そうですね。他には、環境問題にも興味がありました。環境破壊から引き起こされるさまざまな社会問題についてどうしたらいいか議論することが好きでした。日常とのつながりは薄いですが、世界で起こっている問題に、すごく関心がありましたね。高校から大学の進路選択では「国際関係」か「環境」の仕事に就きたいという思いがありました。

―結果、どちらを選んだのでしょうか?

それが…選べませんでした(笑)そこで国際関係と環境の両方が学べる学部・学科を選び、京都大学を受験することにしました。高校2年生から受験に向けて勉強をしていたのですが、結果は3点足りなくて不合格だったんです。受験した学科が特殊で、選択科目にも偏りが有り、後期受験できる大学がすごく限られていました。最終的に、名古屋市立大学の経済学部に入学することになりました。

佐野遥香さん

喪失感の中でも「変わりたい」と思った

―大学での生活はどうでしたか?

大学受験に向けて勉強ばかりやってきた私は、それを抜いたら何も残らないような気がしていました。経済学の勉強自体は楽しかったのですが、本来自分がやりたかった学問ではないことに、多少なりとも思うことはありましたね。

今まで「頑張ったら必ず結果はついてくる」と考えていましたが、このとき「頑張ってもできないことってあるんだな」と、どこかで感じていました。そんな自信を失っていた時期に、それでも「変わりたい」と思ったんです。そこで海外インターンシップ事業を運営する学生団体AIESEC(アイセック)に入り、実際に私もスタディーツアーに参加することにしました。

―自分で一歩踏み出したんですね!どこへ行かれたんですか?

初めて行った海外は、インドネシアでした。大学1年の夏にホームステイしたのですが、当時お世話になったインドネシアのファミリーは、お父さんが亡くなって1年もたたないご家族で。そんな大変な時期に来てしまい、私は「ここにいてもいいのかな」という気持ちだったのですが「いてくれるだけでいいよ」と温かくむかえてくれたファミリーに、すごく感動したことを覚えています。

「私はいてもいいんだ…」当時受験が終わって喪失感の中にいた私にとって、それは救われるような言葉でした。帰国してからは、興味があった国連機関の仕事を調べ、どういうステップを踏めば国連機関に勤められるか調べました。

―自分の進んだ道で方法を模索する、ということはとても大切ですよね。

そうですね。国連機関で活躍されている方は、青年海外協力隊からのキャリアパスを踏む人が多かったので、現場を見たいと思い、大学2年の春にバングラディシュの活動見学ツアーに参加しました。そこで活躍されている青年海外協力隊の人々は、現地の人と同じ目線で活動を実施していました。

国際協力というと「恵まれている先進国の私達が発展途上国を支援する」という視点になりがちですが、常に現地と同じ感覚で活動することはすごく重要だと考えます。私も「地元の人の中で同じ目線に立って行動出来る人」を目指しています。

2年の夏にはNPOのインターンとして、ガーナに行く機会もありました。ガーナで出会った21歳の男の子は、フランス語の通訳になりたいという夢を持っていたのですが、お金がないため教育を受けられず、働くしか方法がありませんでした。彼は朝起きると、いつも仕事の前にフランス語の教科書を開いていたんです。仕事をしながらも、自分の夢は諦めたくない…そんな彼の姿勢に、心を打たれました。制度の整っていない途上国では、能力があっても教育の機会を掴めない子がたくさんいて。インドネシアやガーナでは多くの気づきをもらえました。

佐野遥香さん

世界を広げ、自分の軸を見つけた学生生活

―他にもバングラディシュでの現地視察やオーストラリア(9ヶ月)やイタリア(3ヶ月)での国際機関インターン等、大学時代に多くの海外経験を積んだ遥香さん。その経験を通して一番興味を持ったのは?

開発学という学問分野です。開発学とは発展途上国の貧困解消の方法や、国家間の開発援助政策を研究する学問で、「経済」と「政治」の2面から事象を分析していきます。

「政治」の分野ではNGO、NPO、民間企業がどのように問題を解決していくかということを、実際の事例を用いて検証します。経済の政策というのは時代によって異なり、自由経済が推奨される時期、社会主義の時代、いろんな流れがありますが、今後はどのように経済が変わっていくか考えます。私はこの学問を学んでいるときがとても楽しくて、今後の人生においても、仕事を選んでいく上でこの学問や考え方を軸にしたいと思いました。

―大学で様々な経験を積まれた遥香さんですが、自分の考え方や進路に変化はありましたか。

基本的におとなしい性格は変わらなかったですが、以前と大きく変わったのは「この人はどこどこの国の人だから…」というステレオタイプがなくなったことですね。

就職先はNPOにするか企業にするか悩んだのですが、世の中に付加価値の高いものを生み出す能力は大切ですし、NPOの人からも「まずは社会に出て働くことが大事」と言われ、企業に入りました。分野は「福祉」で、障害者の方の社会復帰を支援する仕事をしていました。

佐野遥香さん

新卒4ヶ月でインド就職。そのきっかけとは

―4月入社で、8月にはインドに来ていたのですね。何がきっかけでインドに来たのですか?

当時勤めていた日本の企業にはインド支社があったのですが、そこから「インドで働きませんか」というお誘いがあったのです。声がかかった新卒は私だけでした。私はTOEICの点数が良かったこともあり、候補者に入っていたのです。何度かオファーをいただいているうちに「若いうちに途上国で働いてみたい」という思いも出てきて。まだ始まったばかりの福祉の仕事と、インドで働けるチャンス、どっちを取ろうかなと…。

そこで友人に相談したのですが「福祉の業界のことを知ってる人は多いけど、インドで働ける人は少ない。新しい世界に挑戦することは、自分の知っている世界をもっと広げてくれると思うよ」というアドバイスを貰って。自分の中でインドで働こうと決意が固まり、実際にインドに渡ることになりました。

佐野遥香さん

インドでの仕事は「失敗」からのスタートだった

―実際にインドで就業をスタートして、どうでしたか?

正直に話すと、最初の仕事はすごく辛いことばかりでした。インドの不動産に関する営業の仕事だったのですが、営業の経験もなく、不動産の知識もなかったので、すべてが0からのスタートでした。代表のインド人から出されるノルマに、自分の実績が全然追いつかなくて。自分なりに勉強して必死に頑張ったつもりだったのですが、結果が出ず申し訳ない気持ちになりました。

―新卒でインドに来て営業する上で、きっと大変なことも多かったですよね。

はい、営業の成績結果が出なくて、営業の仕事が怖くなってしまいました。今年に入って、この会社での不動産サービスそのものが終了することになり、私の営業の仕事も一旦区切りがついたのですが「このサービスがなくなったのも、私のせいなのかなと」ネガティブに考えてしまうこともありました。

―お仕事にしっかり責任を持って取り組まれていたんですね。

当時の自分は、思考がネガティブになっていました。でも、私のことを支えてくれる日本人の友達はたくさんいました。私は合唱のサークルに入っているのですが、友達に仕事のことを話すと親身になって心配してくれました。

インドはいろいろなことが日本とは違うので、皆で悩みを共有しあい、助け合って生きている気がします。自分が弱っていたときは、そんな友人の温かさをすごく感じました。支えてくれる友達の存在もあり「もう一度、インドでしっかりやり直したい」という思いで、改めて仕事を探し直しました。

佐野遥香さん

インドで転職。新しい仕事に出会い、再スタート

―現在はどんなお仕事をされているのですか。

今は、インド人向けの日本語の講座、新しい先生や生徒の募集に携わっています。日本語教材のインド出版記念イベントの企画をしたりしています。

―新しい仕事をスタートしてみてどうですか。

まだまだ社会人の経験が浅く、まずは社会人として一人前になりたいので、スキルをつけるのに必死です。必死になるあまり、以前は自分を責めて過ぎていた気がしますが、今は周りへの感謝の気持ちが溢れています。

上司には、以前仕事で失敗をしてしまった話をしたら「前の経験があるから、今、しっかり仕事ができているんだと思います。この会社に来てくれてありがとう」と声をかけてくれました。インドでの就業は失敗からのスタートでしたが、無駄なことは何もなかったんだったなと、とても充実した気持ちでいっぱいです。

―今後のインドでの展望を教えてください。

将来はNPOで働く目標があるので、ここでしっかりスキルを身に着けたら、海外の大学院で修士号を取りたいと思っています。好きな開発学の分野で研究したいからです。「国際協力の現場で活躍したい」という視点から考えると、若いうちからインドで働くことは経験値として良いと思いますが、私のように早く来すぎたら微妙かもしれないと考える時もあります。

というのも、日本人が海外で働く価値は「日本で学んできた基礎・専門性」にあると思うからです。日本で教育を受けて、しっかり日本の技術やビジネススキルを身につけることも、すごく意味のあることです。インドに来たら、全てを自分で考えないといけません。日本で専門性をしっかり作ってから、海外に出ることも大事なステップだと感じています。私は今インドで働いているので、インドで「これが私のスキルです」と言えるものを身に着けたいです。そうでないと、これからは生き残っていけないと思います。

―すごくしっかりした考え方だと思います。実際インドに来てみてどうですか?

インドに来て、本当に良かったと思っています。この国は、まだまだ貧富の差が激しく、貧しさを感じている人もいますが、それは不幸せなことではないということ、そして「明日はもっと良くなりたい」という向上心を持って頑張ってる人がいることに気づきました。そのような方々との関わりは、今の私にとっていい刺激になります。そういった気付きは、とても貴重です。

佐野遥香さん

海外就職を考える日本人女性へのメッセージ

―最後に、日本に住む日本人女性にメッセージをお願いします!

海外で働くということは、一見華やかに見えますが、見えないところで大変なことも多いです。メリット、デメリット、全て受け入れて「覚悟」を持ってきてほしいと思います。

私のインド就職は失敗からのスタートで、その経験から、スキルを持っていることの重要性をすごく感じました。日本にも成長するためには様々な環境が整っています。自分だけの「スキル」を持って、力をつけてから海外に挑戦することを、私はお勧めしたいです。

もちろん、たくさんの日本人にもっと海外に来てほしいと思っています。ぜひ、自分の強みを生かして、海外就職に挑戦してほしいと思います!

佐野遥香さん

編集後記

過去のMiraist Womanのインタビュー参加者の中で最年少の遥香さん。ついこの間まで大学生だったとは思えないくらい、しっかりした考えをお持ちでした。

インド就職のスタートは、決して順風満帆ではなく、営業時代のエピソードを聞いていて、本当に大変だったろうなと感じました。 海外就職=ゴールではなくスタートなので、誰もが華やかで楽しい海外生活を送れるわけではないでしょう。

それがマイナスからのスタートだったとしても、新しい道を模索し、今を切り開いた遥香さんは本当に強い心の持ち主だなと感じました。新しい環境で、次のステップにむけて頑張ってください。ご協力いただきありがとうございました!

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*インタビューで使った会場は、インドの5つ星ホテル。泊まるとそれなりに金額がかかりますが、カフェだとリーズナブルな値段で使えます。土日の気分転換にオススメです!