こんにちは!Miraist編集部です。
今回インタビューをさせていただいたのは、現在大阪府四條畷市の市長として活躍していらっしゃる東修平さん。
28歳という若さで現役最年少市長になった東さんですが、四條畷で生まれ育ち、京都大学大学院を修了した後、外務省で働いていました。
その後、インドに転職することを決意。インドで働いてから日本に戻り、今は民間人材サービスとタッグを組んで副市長を全国公募したり、アプリを用いた協働のまちづくりシステムの構築をしたりと、新しい取り組みに挑戦し続けています。
そんな東さんが、なぜインド転職という選択肢を選んだのか?
インドで働くということは、その後のキャリアにどう影響を与えたのか?
東さんに熱く語っていただきました!
ロングインタビュー、ぜひご一読下さい!
外務省からインドに転職をしたのは、自分にとっての必要条件が揃っていたから。

関野(Miraist代表):本日はどうぞ宜しくお願い致します!
まず、外務省をやめると決断された時に、なぜ海外を目指し、どのような理由で他の国ではなくインドでの海外就職を選んだのでしょうか?
東さん:当時の自分にとって一番必要だと明確だったのは、マネジメントスキルと経営に携わる経験でした。これを得られるところに行きたいという想いがとても強かったですね。日本か海外かというよりも、その経験を積めるところに飛び込みたかったんです。
外務省といういわゆるキャリア官僚から飛び出していく決断をする際、転職コンサルタントの方が自分の想いに寄り添ってくれるかどうかが大きかったと振り返って思います。転職活動中に、固い常識で物事をはからない関野さんに出会い、背中を押してもらったのがインド転職に踏み切ったきっかけですね。
関野:懐かしいですね!本当に素敵なご縁だったと思います。
でも当時は、外務省という既得権益を捨ててまでインドに来ていいのかと言われることも多かったのでは?
東さん:そうですね、おっしゃる通りほとんどの転職エージェントさんには、転職しないほうがいいのではと止められました(笑)
ですが、様々な求人・仕事情報を調べて比較し、第二新卒の私が活躍できる裁量・フィールド・市場の成長・使う言語が英語であるということ、などの条件を考慮した結果、インド就職という選択肢は突飛なものではなかった。
むしろ、これから積んでいきたい自分のキャリアに合致していたんです。
関野:なるほど。
東さん:また、インドでの転職先、野村総合研究所(NRI)はとても素敵な会社でした。自分が悩んだ時にとことん話を聞いてくださるだけでなく、日本の未来について熱く語れることがとても楽しかったです。人に惹かれましたね。
それに加えて、先程話したインドの可能性と裁量の大きさを考えると、インドでの生活環境は大きいネックにはならなかったです。なんとかなるかなと。

関野:ご自身のキャリアを考えた時に、東さんの持っている希望要件に合致しているところが、インドのNRIだったということですね。
東さん:そうですね。転職活動中、ベトナムのベンチャーにも引きがあったと記憶しています。社長の右腕として仕事できるポジションで。
でもやはり、関野さんとのご縁が大きかったですね。今外務省で働いていようが、自分のやりたいことが明確であるならば、ガンガン行きましょう!と背中をぐっと押してくれましたよね(笑)あの押しがなかったら、もう少しとどまっていたかもしれません。
関野:「鉄は熱いうちに打て」という言葉を私自身大切にしています。東さんの“インドで挑戦したい”という熱い想いを応援したい気持ちでいっぱいでした。
東さん:インドで挑戦したいと思った理由としては、やはり“ワクワク感”がありますよね。
あれだけの可能性と熱量がある国はそんなにないと思います。働いてみたいと思うのには十分なほど、インドの“未知さ”は魅力的でした。
私もNRIで働いている時に東南アジアの国は多く回りましたけど、空気感や開発の方向性がそれぞれ違います。すぐに中国を追い抜き、様々な人が共存している世界最大の民主主義国であるインドは、本当に面白い国だなと感じていました。
日本全体を想いながら、四條畷市から改革を起こしていく。


関野:世界最大の民主国家ということですと、先日インドで選挙があり、モディ首相が再選しました。
私の中では、モディ首相と東さんを重ねている部分があるんです。というのも、モディ首相も、彼の出身地であるグジャラート州で様々な改革を起こし、手腕を買われて今は国政を担っている。インド国民には絶大な人気を誇っています。
ある意味、東さんも現在30歳という若さで市という単位で挑戦し、ここで成功体験を積んでいかれたその先に、国政を担う政治家として動くことを見据えているのではと思ったんです。
東さん:それが政治家であるかどうか、ということに実はこだわりはありません。生まれ育った四條畷市をよりよくするには、市長にならざるを得なかった。手段としての市長だと考えています。
ですが、与えられた権限の大きさを考えると、ずっとこの仕事をやることは適切ではないと思っています。その時その時の社会状況に応じて、自分に向いているところにリソースを割きたいと思っています。
今は国からより地方から物事を変えるほうが早いんですよ。摩擦やコストが少ないですし、変革を起こしやすい。みんなが望んでいる当たり前を、民間とタッグを組むなどして実現していく。改革をここで起こして他が模倣することで、いい波が日本中に広がっていくと思っています。
最終的なゴールは、日本をより住みやすい、いい国にしたいということです。常に、日本全体のことを想いながら仕事をしていますね。四條畷市がよくなれば、日本がよくなると信じています。
インドで働いて、得られたもの。今、生きているもの。

関野:インド就職をし、その経験が今に活きていると感じることはありますか?
東さん:インドでの就業経験がなかったら今ここで職務が務まらないと思います。
インドでの仕事では、いわゆる“インドの霞が関”に行く機会が多かったんです。役人の方と国の課題ついて話す時に養われた、多角的に課題を見る視点や経験は今活きていますね。
また、異なる文化圏の人と仕事をすることは貴重な経験でした。インド人とチームで働き、彼らに指示をし、仮説をぶつけ合い、白熱しながらも顧客を想い続け、よりよいものを作っていく。今は5万6000人が住む四條畷市を動かす中で、年齢やバックグラウンドが違う人と働いていますが、インドでの経験が活きています。
改革をする時って、現場の意見を聞くことが大事ですが、ここぞということきは、その分野について知り尽くした上で指示を出す。圧倒的な知識を持ち、まとめた上で意見をバンと出す、どんな反応が来てもきちんと説明できることが求められます。それはインドで散々トレーニングしていたので、この能力も活きていますね。


関野:NRIインドでは事業戦略コンサルタントをやっていた東さんですが、実際に働いてみていかがでしたか?
東さん:まず、NRIインドがよかったのは、3年目でやれるようなことを3ヶ月で経験できたことです。
日本人コンサルタントが足りていないということで、プロジェクトを普通は1~2本のところ、最大6本関わっていました。
ベトナムの日系企業の自動車関連案件もあれば、インドの大企業の経済特区開発案件もあり、日本の企業を誘致したいという案件もありました。業務の幅も、国の幅もかなり広かったです。
結局インドのことを知ろうと思ったら、インドが目指している欧州のことも知る必要があるんです。
インドではとにかく勉強しました。まずはひたすら量を読み、仮説を持ち、インドの財務省や経済産業省にあてていく。解を求めて、分かりやすく相手に伝える。その情報処理能力が格段に上がりましたね。
関野:毎日お忙しくて大変でしたよね。合間を縫って飲みに行ったのが懐かしいです。
東さん:そうですね!仕事三昧でしたが、その日々はとても楽しかったです。
一緒に仕事をしていた同期とは、インドのビールを飲みながら励まし合った戦友です。
関野さんとも何度かご一緒させて頂きましたが、インドでの最後のタイミングは出馬意思表明を報告させて頂いた時でしたね。懐かしいですね。


(上)2016年 インドのグルガオンにて。市長選への出馬表明を祝しての乾杯。
(下)2019年 四條畷市役所市長室にて。前回はビールでしたが、今回は麦茶で!(笑)
インドに転職する人は、未来に対する評価基準が高い。


関野:インド就職・インド転職をする人の特性はどんなものだと考えますか?
東さん:インドに来る人の特徴は、目の前の崖を「えいや!」と飛べる人だと思います。
飛べる距離だけど、社会人になると“これがなくなってしまう”“あれがなくなってしまうかもしれない”と考えがち。今の安定した状況やステータスなど、失いたくないものが増えてきてしまうんですね。
なので、インド就職・インド転職する人は、今持っているものの評価より、これから未来で得られる経験、ワクワクするものに対して評価する基準が高い人が多いと思います。
どちらがいい悪いではなく、未来に対する評価の仕方の違いですね。「えいや!」と飛ぶ人は、関野さんが典型例では?(笑)
関野:たしかに、えいや!の精神は大切ですね。私もえいや!でインドで起業しました(笑)。
実は、インド人の考え方には、PDCAのPはなく(笑)、Do Do Do Do。とにかくやる。スモールスタートで良いので、走りながら考える。その姿勢が大切だと思います。
インドで働いている時、何が東さんの働く上でのモチベーションでしたか?
東さん:やはり、大きな裁量ですね。これがなによりもモチベーションを上げてくれるものでした。
上司からプロジェクトを一任されるので、現場での自分の提案ひとつで、顧客の意思決定が変わっていく。やりたいようにできることにワクワクしていました。
仕事に対するストレスは仕事で解消していました。逆もまた然りで、「仕事の報酬は仕事」だと考えていて、仕事できたらお金ではなく、より難易度の高い仕事をこなす。それがやりがいでしたね。


関野:仕事の報酬は仕事。東さんらしい言葉ですね!
こうやって東さんの話を聞いていると、ポジティブにインドで働く人をもっと増やしたいなと思いますね。
東さん:正直まだまだインドに対する偏ったイメージはあると思います。
ですが、インド就職・インド転職をしたいと思っている人、インドに挑戦したいという人に対して、情報をしっかり伝えていくことが大事だと思います。
インドと四條畷は、自分に挑戦できる場。


関野:四條畷市の副市長ポジションに1000人以上応募が殺到するなど注目を集めていますが、これからの四條畷市のブランディングにも力を入れていくのでしょうか?
東さん:はい。全国公募という新しい方法を通じて多くの人が応募してくださったのですが、これは四條畷市で新しいことに挑戦したい人や、実現したいことに向けて自分で考えることができる人に入ってきてほしいというメッセージでもあります。
そして私自身、インドがまさにそういう場所だと思っています。
レールに乗って指示を受けるだけでなく、自分で実現したいことがあって1から物事を作っていける人が求められていますよね。四條畷もそういうフィールドでありたいです。
関野:いいですね!
インドは挑戦と変革を起こせる場として、他のアジア諸国とは違う唯一の場所。そして、四條畷市で働くということは、既得権益を守りたいという人より、自己変革・自己成長をしたい人がその想いを実現できる場所。
…四條畷市役所とインドは、一緒なのでは!
東さん:まさに四條畷市役所は、“日本の小インド” ですね!(笑)


関野:人間は周りに大きく影響されますので、新しい環境に自ら飛込み、良い影響をたくさん受けて、前向きなキャリア志向をたくさんの人に持って欲しいですね。
東さん:そうですね。
インドに転職したいと言った時に、キーとなる応援者がいるかどうかはとても大切だと思います。「インド」と聞いたら反対する人も多いので(笑)前向きで、自分を後押ししてくれる人がいることで、インド就職・インド転職に踏み出せるのではないかと。
少しでも興味をお持ちの方は、若いうちにチャレンジしてみて下さい!
関野:東さんが四條畷市役所のよさを広報して挑戦したい人が挑戦できるよう仕組み化をしたように、我々もインドで挑戦したい人を送り出す仕組みを作り、インド就職・インド転職の魅力を発信して参ります!
東さん、今日はお時間を頂きありがとうございました!
